2010年8月26日木曜日

あれから丁度一年

DVDドライブを取替えてから一年.
この夏にウイルス対策ソフトを重複させるというトンマな失敗をやらかし続く暑さにもやられ, ハードディスクから"かち かち かち"と音が鳴るようになっていた.
動画を観ればガコガコとしか動かず, 音楽を聴けばブツブツ途切れ, マウスがかたまり強制終了させることもしばしば起きていた.
一度フォーマットしたがダメで, 結局ハードディスクを取り替えるに至り2倍の320GBに昇格した.
自分がスットコドッコイなのは承知だが, 6年物のPCなのだし, 結果的にあと1~2年使えるならかえって良かったことになる.


最近のお気に入りはオンラインにあるので, これまで抱え込んでいた未整理ファイルは一部を除いていさぎよく捨て軽量化する. いよいよ世の中のスピードに追いつけなくなってきてることでもあり, この際ブラウザを軽いGoogle Chromeに替えiTunesもやめた.
ああ, すっきりだ!

2010年8月22日日曜日

環境

3~4日は精力的にメロンや南瓜を食べ, たくさん糞をしてはまた食べ, 欠けていた殻の縁をあっという間に復元させた.

如意さんの殻の大きさは15mmほど.
「コベソマイマイ」と思っていたけれど, 「ニッポンマイマイ」かも知れない.

最初は死骸だと信じ込んでいたから, 旅の間中ポケットの中でぞんざいに扱っていた.
家に戻り机の置いた場所から移動していたのを見て, 初めて生きていたと知りびっくりしたのだった.
そもそも夏眠することなど露知らず, 持って来ちゃったものは仕方ない.
観音像から引き剥がしてしまったのも何だか申し訳なく, できるだけ良い環境を整えてやっている.

この残暑で, 今は一日のほとんどを眠って過ごしている.


2010年8月14日土曜日

北へ 水上編


4日目. 無計画は最高編!

予定外だった"さざえ堂"に行ったからには"只見線"にも乗らねばと, 朝5時に宿を出る.
会津若松-小出-水上-高崎-上野で帰るには, 只見線「小出行き」5時59分発に乗らないとその日の内に帰れないことがわかったので必死の早起きだ.

~ちょい昔話~
息子が中学生になるまでは, バイク2台であちこちキャンプに出かけていた.
この写真は裏磐梯-喜多方-桧枝岐-水上をぐるっと回った時のもの. その時に只見線に沿ってずーっと走ったのがあまりに気持ちよく, 次はぜひ列車に乗って堪能したいと思っていた.

来年ぐらいにさざえ堂とセットで計画していたので, それで
"さざえ堂"に行ったからには"只見線"にも乗らねばと相成った.



というわけで3泊4日の旅の最後は列車三昧.






夢のような景色.

-会津川口駅-

川と駅が嘘みたいに近い.
単線なので反対側の列車を待つ間, しばし停車.





只見線の終着駅, 小出到着.

ここから上越線(水上行)に乗り換える.


水上駅に着いてみたら機関車の運転日に当たり, 静かに盛り上がっていた. ひょっとして今からでもSLに乗れる?と, 「もしもし券売機」なるもので違う駅に繋がっているオペレーターと話しながら指定席券を手に入れる.

駅を出た所(黄色の囲み)に蒸機と同じ音色(圧縮空気による)の汽笛が設置されており, 蒸気列車が停車中の間だけ自由に鳴らせるらしい.
これが耐え難いほどの爆音で, 音の大きさに只々圧倒される. しばらく耳の中がこそばゆくて大変だった.

ずっしり ぎっしり

実は機関車にも乗りたいと思い続けて四半世紀以上, ここへきて行き成り叶ってしまった.

バックして客車と連結.
機関士の顔がまだあどけなく(20代前半かな), 知り合いに似ていたので私達だけでずっとai君と呼んでいた. 機関士・機関助士それぞれにベテランの補助が付いていたので, ai君達はきっと新人さんなのだろう.



田畑で仕事の手を休め顔を上げるお爺さん, 踏み切りで手を振リ続ける親子, 三脚でファインダーを覗いてる人, 幼い子を腰ベルトで繋ぎ大型バイクで並走するお父さん.
乗っているより何故か彼等の方がちょっぴり羨ましくなった.

水上15:20発-高崎17:20着.
高崎線に乗り換え上野に着いたら, 隅田川の花火が上がった.  おしまい

2010年8月10日火曜日

北へ 会津若松編


3日目. 山形での朝.
見慣れない景色にハッとする.

尾花沢市の銀山温泉へ散策に行こうか迷っていたが, 雨の心配など諸々あって東京へ帰りやすいスケジュールに変更する.
ローカル線での旅は早起きが鉄則だが, ゆっくり朝食をとっていたら8時の時点で奥羽本線の米沢-福島-東北本線で郡山-磐越西線で会津若松だと9時間かかることが判明. 途中で4時間以上の連絡待ちがあるからだ.
急がば回れで仕方なく仙山線で仙台まで戻り, 遠回りでもどうにか3時前には会津若松に到着できた.


早々に宿を決め, 手ぶらで白虎隊の墓所のある飯盛山へ.

ずっと訪ねて見たかったさざえ堂だ. 感激し過ぎて, なかなか中に入れない.


客がぽつぽつ来る度に, 横の小屋から小母ちゃんの口上が始まる.
それを10回ぐらい聞いたところで, やっと中へ入る.

平面六角形の二重螺旋構造


上りは右回り.






最上階


太鼓橋を渡り, ぐにゃりと下りへ.

気づけば左回り.
最後の戸口に酷い落書き. 戯け者めがー!


これぞ"みやげ物屋"という風情.
引き戸ガラスに貼られている"白虎隊士自刃を描いた絵"(作者は高齢で健在)のモノクロコピーと, "会津さざえ堂学術調査実測図6枚綴り"を買ったらオマケを付けてくれた. 実測図を欲しがる人は滅多にいないのだろう.




巫女が運んでくれる自動おみくじ.
人形の髪が日焼けで白くなっても未だに稼働している年代物.

動くと聞いたらやらないわけにはいかないよね.






麓の店が3時過ぎには閉め始める中, さざえ堂と山主飯盛本店の営業は "日没まで" と, そのアバウトさも姿勢も魅力的.

~妄想~ 終の棲家を会津で, 特別パスポートを発行してもらうか顔パスで"さざえ堂一巡り"を日課とする老後…ええなぁ

どっぷり暮れた駅までの一本道.

真っ暗な白虎通りをふらふら歩いていると電球が煌々と輝く雑貨店が見えた.
洋服・洗剤・藁や竹製品・大工道具と何でも揃い, 昔の売れ残りデッドストック品は値札がないまま埋もれていた.
使えるんだか使えないんだか分からないデッドストック品に, その場で値段を考えてる小母ちゃんの眼が泳ぐのが可笑しかった.


そして, 水上編へとつづく…